『田園の詩』NO.108 「祭りの日程」(200.1.4)


 国東半島の西玄関ともいえる豊後高田市の新年は≪ホーランエンヤ≫の祭りから始まり
ます。

 この祭りの説明文を読むと、『元日。寒風をついて、桂川の河口に近い磯町の岸辺から、
大漁旗をはためかした蓬莱船がのぼってくる。乗り組んでいるのはフンドシひとつの若者
10数人。琴平宮に参拝したあと、川上の若宮八幡社めざしてこぐ。掛け声は「ホーラン
エンヤ」。沿岸を埋めた人達から川中に祝儀物が投じられ、若者が飛び込んで拾い上げる。
船から岸をめがけて祝い餅がまかれる。海上安全と豊漁を祈る、海の男達の勇ましい正月
行事だ』とあります。

 ところが、今回は元日には行わず1月9日にするそうです。いわゆる「2000年問題」
に対処するために変更するのではありません。もっと単純かつ明瞭な理由によります。
それは、宝来船をこぎ出すことができないからです。

 説明文にもあったように、祭りの舞台は海が目の前に広がる河口なので、潮の満ち干の
影響で川の水量が極端に違ってきます。満潮の時は満々と水を湛えていても、干潮の時は
川底に転がっている石が見えるほどになります。


      
      ここが祭りの舞台となる桂川です。干潮時には船など通れません。
       中央は豊後高田市の市役所、その右奥の橋のたもとに若宮八幡社が
       あります。                (08.2.26 写)



 2000年の元日は日中は干潮で、夕方にやっと満潮になるそうです。暗くなっては、若者
が川に飛び込んだりするのは危険なので、やむなく日程を変更したのでした。

 では、そもそも何故こうなったのか。それは≪新暦≫の1月1日に祭りをするようにしたか
らです。本来は≪旧暦≫の元日に行われていました。旧暦だったら間違いなく日程が組める
のですが、新暦の元日は年によって月齢が異なります。

 月の満ち欠けと潮の干満とは関係があるので、たまたま、河口を舞台にした祭りだったため
に大きな影響を受けることになったのです。

 人出が一番多い時にと、祭りのほとんどが新暦や日曜日に変更されています。うまくいって
いる所もありますが、概して季節感のずれを感じたり、無理な面が生じたりしています。

 長い伝統を持つ祭りの日程を変えるのは難しいのかもしれません。 
                          (住職・筆工)

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